殺す気持ち
フリスタ編集MIZKです。

フリスタでもインタビューをさせて頂いたヨージロー氏のブログにて記述されていた、下記のサイト。内容は動物から毛皮を取るために日常的に行われる動物虐殺への抗議。

http://www.fur-free.com/index.html

※注意 あなたが想像している以上に残酷でショックが強いです。それを踏まえた上で閲覧してください。

このルポルタージュと映像をを見てさすがに気分が沈んだ。
かわいそうとかそういうものではなく、何かこう歪んだ資本主義の結果だよなとまざまざと感じられて。


僕はよく釣りをする。
そして魚を殺し、食う。
時には釣った魚をその場でナイフでもって生け締めにすることもある。
ナイフを頭部に突き刺すんだけど、その時、魚は信じられないような叫びの目をする。
すごい断末魔の顔をする。
その目はいつまでも脳裏に残る。

時には魚を生きたまま家に持って帰る。
そして生きたハゼとかの首をはねる。
そして身は天ぷらにし、食う。
でもハゼは生命力が強くて首だけになっても、三角コーナーのゴミの中で生きている。
口をパクパクさせて生きている。
僕はそれに耐えられなくて彼らに熱湯をかけて即死させる。
”許せ…”とつぶやきながら虐殺する。


やっていることはそう変わらないんだ。

だけど明確に違うこともある。
僕は食うために、自分の生命をつなぐために殺した。
そして感謝しながら殺した。

でも毛皮の業界はどこか違う国の人間の虚栄心を満たすために殺した。
感謝なんかしやしないだろう。
その現実が、それが、どうにも僕の心を沈ませる。

成人式とかで女の子の首に巻かれる顔つきの動物たち。
キツネとか、タヌキとか、テンとか、
この背景を知っていても自分の首に巻くのかな。

自分の首に動物たちの怨念を巻いているに等しい気がする。


僕は決して安直な動物愛護家ではないので、こういう問題に関しては様々な角度で考える。食い、そして生きるという目的のため、世界中で常に残酷なことが起こっている。

でもその残酷な行いの上に僕らの安定した生活は保たれている。

人間が生きるということは、他の命を奪うということだ。
そして残酷なことだ。
この圧倒的な事実が隠蔽され続けた時代に生きた僕は常に弱々しく時に甘ちゃんだ。
だから、たまに泣きそうな気持ちで魚を殺す。

だけど、その泣きそうな気持ちを持っているのが、そもそもの人間なんじゃないだろうか。
そして毎日毎日、人が殺される世界の中、僕らはついにこの泣きそうな気持ちを取り戻す季節を迎えたんじゃないかと思ってる。

そんなことを僕は動物が生きたまま毛皮をはがれる映像を見て思った。

涙を流しながら叫び苦しむタヌキを見てそう思った。
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by freestyle-life | 2006-09-27 21:33 | フリスタライフ
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